ぐらんぎにょーる

だれかの役に立てたらいいな

出産記録⑥命懸けのお産

 

今回こそ生まれます✌︎('ω')✌︎

 

緊急帝王切開

 

(麻酔による影響と後述する諸々の理由により順番があやふやなところが多々あります。ご了承ください)

 

移動してきたベッドから手術台へと移されます。ドラマでよく見る「1.2.3!」ってやつです。

そして手術着を脱がされ、全裸になります。

血圧計、心電図、パルキシオスメーターを装着。

そして麻酔をします。超緊急帝王切開(1秒でも早く胎児を出さないと命の危機)だと全身麻酔になるそうなのですが、緊急帝王切開なのでくも膜下硬膜外麻酔で概ね胸から下の下半身麻酔をしました。横を向きエビのように背中を曲げ小さな針を刺し挿れていきます。

このとき丁度陣痛が来てヒィヒィになってしまったので、陣痛を逃してから刺しました。危ないのでね!

すると何ということでしょう…!陣痛が全く痛くないではありませんか!無痛分娩羨ましい…!!!

保冷剤を使ってちゃんと麻酔が効いているかのチェック。冷たいと感じなければオッケーです。

麻酔の影響で、自律神経が乱れるらしくわたしは寒くてガクガク震えていました。また血圧も下がり気味になってしまうので、定期的に計測がなされます。

そして、残置導尿カテーテルが入れられます。しばらくトイレに行けないからね!

 

執刀医3名、オペ室看護師2名、麻酔科医1名、助産師1名とわたしで最終打ち合わせをします。

お腹の傷は縦か横か選べたので横切りでお願いしました。

 

そして着々と準備は進み、わたしの視界からは何も見えなく(胸のあたりにカーテンみたいな…手術が見えないように幕…?)なりました。

左には助産師さん、その奥には赤ちゃんが処置される眩しいベッド(経産婦さんに伝われ)、頭上には麻酔科医がいました。

 

ペスタートです!

 

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わたしはもう終わる…という安心感から手術に対して恐怖心はなかったです。ただとてもハイになっていて饒舌でした。ずっと助産師さんと麻酔科医と喋っていました。

焦げ臭いにおいがしたので「電気メスです?」なんて聞いていました。どれだけお喋りやねん。

 

オペ中、痛みを感じることはなかったのですが触れられている感覚・押されている感覚はありました。

 

あーもうすぐ赤ちゃんに会える!長かった妊活も誘発分娩もすべてすべて終わる…!

 

とワクワクでした✌︎('ω')✌︎

間も無く赤ちゃんが出てくる、ということでお腹を執刀医たちに押されます。御神輿みたいに…わっしょいって感じでした。

ぎゅうぎゅう押されるもんなので胃液が上がってきて「吐きそう…」と受けを用意してもらいました。

「頭見えましたよー!」と助産師さんが教えてくれ…そして!!!

 

ふにゃあ!

 

「⚪︎時⚪︎分です!おめでとうございます!」と祝福されます。生まれました!やったー!終わったー!涙は出ず、安堵感で胸いっぱいでした。

 

喜びも束の間……

 

ただ、取り上げられた赤ちゃん、顔色が悪かったんですよ。遠目で、素人目にもわかるくらい。チアノーゼってやつ。声も小さい。すぐに赤ちゃんの処置がなされます。顔を左に向け、ベッドを見つめるわたしを案じて「処置終わったら隣に連れてきてもらえますよ!」と麻酔科医は言います。

わたしの胸の下では後処理がされます。胎盤排出後、子宮内をきれいにし、縫合、なのかな。低置胎盤気味だったのと、胚移植だったので癒着が心配されましたが無事胎盤排出されました。

 

一向に赤ちゃんは隣には来ません。なんなら赤ちゃんベッドで処置する医師増えてない?よくよく見ると人工呼吸器ついてない?不安は募ります。そして1人の医師がわたしのもとにやってきます。

 

「肺が炎症を起こしていて、うまく膨らまないので、呼吸の手伝いをしています。治療が必要なのでこれからNICU(新生児集中治療室)に行きます」

 

顔も見られないまま、触れられないまま、性別すらわからないまま、生まれてわずか10分程度の赤ちゃんは挿管をされ人工呼吸を施され、わたしより先にオペ室を出ました。

 

涙は出ません。たぶん状況を理解していなかったのかな、ハイになりすぎて。「わかりました、お願いします」と言うしか、わたしにはできませんでした。

 

麻酔科医が「疲れているだろうし、軽く全身麻酔をかけて眠ることができるけどどうする?」聞いてくれお願いしました。わたしにできることは、何も無かったので。そしてすーーっと眠りについたのでした。

これが危うく一生目を覚さないところでした…

 

お腹がチクチクする痛みで目を覚まします。なんと縫合中に麻酔切れてきちゃった\(◡̈)/

「い、痛い!」と話したことで周りはエッとなり(笑)麻酔追加してもらいました。

 

そして医師がわたしに近づいて話します。「促進剤を投与し続けた影響で、子宮内の出血量が非常に多い。ご主人には了承をもらったが輸血をしなければならないけどいいか?」

なんなんですかね大殺界???

子宮があまりにも収縮していたから弛緩出血みたいな感じなのかな…巨大児だから?

 

リスクとベネフィットとはよく言ったもんですね、輸血は感染症リスクはあるけど明日を生きるためにはベネフィットを取らねばならないんですよね、赤ちゃん抱っこする為にも。お願いしました。

 

よくドラマでオペ中出血を吸引したものを溜める容器あるじゃないですか。ふとそれが目に入ったんですが、3-4本血が満タンで。

 

後々聞いたら体の血液量の半分以上の大量出血らしく、わたしよくショックにならなかったなって思います。しないのかアレくらいじゃ?とにかく饒舌だったのでアドレナリンでどうにかしていたのかな。わかりません。

オペ終わったあたりから全然脳みそが動かず、何かみんな話しているけど咀嚼して理解するのはなかなかに難しかったです。文字も文字として認識、識字するのも難しかった……

 

オペが終わり、病室に運ばれます。オペ終了待機していた夫と会えました。「おつかれちゃん。輸血することになったんだってね」みたいな会話をしたような…。そのときのわたしは「顔色無かった」そうです。

 

夫はNICUに運ばれる赤ちゃんを見ることができ、写真も1枚撮れました。赤ちゃん生まれて初めての写真が管まみれなんですよね。普通に産んであげられたらカンガルーケアして母子共にピース!みたいな写真だったろうに…

 

こうして4日間に渡った出産は終わりました。全然無事じゃない。命懸けすぎました。

 

このあとも色々と処置は続いたのですが、この記事が長くなりすぎたのでまた次回!

 

⑦に続きます。

 

 

出産記録⑤誘発分娩チャレンジその4

 

②-④では1mmもお産が進まなかった誘発分娩について書いてきました。

誘発分娩って私費診療なんですよね。医療費100%なんですよ。つまり何が言いたいかと言いますと、なーーーんにも進展がなかった3日間、失ったのはわたしの体力と精神力と

14万円…

 

医療費欲しさにずっとチャレンジさせているのかと思うほどでした。

夫は3日目夜大激怒。

 

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育児に対して不安はなかったわたしでしたが、この痛みを終えたあと我が子をかわいいと思えるのか、そっちで不安でしたね。あと死ぬ覚悟。

 

さて誘発分娩4日目に突入します。

 

誘発分娩4日目

 

一睡もできず、高熱は下がらず、内診されるたびに強まる陣痛…モニターを見ると外側陣痛100を超えて…意識も朦朧としていました。

シャワーなんて入れなかったです。動けなかった。

 

8:30男性医師3人が診察にきました。人工破膜のためにエコーをします。人工破膜とは字の如く、人工的に破水させ分娩を誘発させます。破水した際に胎児より先に臍の緒が飛び出てこないかチェックするためにエコーをしたんですよね。その危険性は無い!ということで破膜です。お股があったかい水がジョワーーーーーーーっと出てきました。と同時に重い何かがそれと共に降りてくる感覚。腰が砕ける……(涙)

 

人工破膜することでお産はちょっと進みますが、わたしが高熱を出し、胎児も頻脈だった経緯から「今日中に終わらせます」とのこと。羊水で守られていない胎児を長いこと菌に晒すわけにはいかないんですよね。でも今日中なら…がんばれる…かも……

 

そして促進剤投与が始まります。

陣痛の波が来るたびに腰が砕けるというか剥がされるというか、その痛みに耐えます。深呼吸なんてできません。声出しながら「うーーーーーーうーーーーー」と息を吐くしかできません。外側陣痛100を超えると叫ぶしかできません。ここ数日ろくな睡眠も取れず、ご飯も食べられず、おまけに高熱で意識は朦朧。痛いけど、どんどん促進剤は増やされる。叫ぶ。切ってくれと。そして陣痛で叫び、痛みで痙攣し、波が終わると気絶するというサイクルを繰り返していました。

 

1時間に1回医師が診察にきます。「切ってください」と懇願します。「痛いのは必要な痛みだから…今すぐは切れない」と一蹴されます。この頃からどうやって死のうか考え始めます。陣痛室で首を吊ってやろうと。「殺してくれ」ともお願いしました。「死にたい」とも。

既往歴に不安障害や迷走神経反射を起こしやすいことは予め伝えてあったんですけどね、そのあたりのケアみたいなのってしてもらえないんですね。病気じゃないからなのかなぁ。

 

子宮口7cmから開大しません。胎児は少しずつ下がってきてはいるようでした。内診で頭が指先に触れるようでした。しかしそこから一向に進みません。3時間耐えました。

 

念願の…(?)

 

12時付近の診察。ついに動きます。

子宮口が7cmから開かないこと、胎児が降りてきてはいるが回旋異常を起こしていること、わたしの体力がもう無いに等しいこと、これ以上誘発をかけても進まないと見込まれたことから帝王切開をしましょう」と言われました。

胎児は産道を通るときにくるっと回りながら(たしか顔が下?)出てくるのですが、わたしの赤ちゃんは大きく、先生が内診でグイッと向きを変えてみようともビクともせず…(笑)

 

もう終わる…やっと解放される…

促進剤投与は中止され、オペの準備が始まります。ただオペ室が開くまで待機、とのことでした。終わらない本陣痛……(涙)手術のため夫が病院に呼ばれます。終わるまで待機です。

 

わたしは心電図を取ったり、レントゲンを取ったり、下の毛を剃られたり、陣痛の合間に帝王切開の準備をしていきます。しかしなかなか呼ばれず。帝王切開決定から4時間近く待機しました。もうすぐ終わる…の一心でモニターの陣痛の山をチェックしながら「外側陣痛50くらいなら耐えられる…!」とうーーうーー言いながら1人耐えてました。たまに80-100になるときは叫んでいました←

 

16時をまわった頃、夜担当してくれる助産師さんがやってきて「あと15分で移動しますよ!」と、手術着に着替えさせられます。パン1で不織布だったかな?そして病室のベッドも運ばれてきます。それに乗ってオペ室まで運ばれます。面会はできないのですが、助産師の計らいで一瞬夫に会えました。泣いたり不安に思ったらはしませんでした。ただただ「いってくるね」と、そして直後に来た陣痛でうーうー唸っていました。

 

眩しいほどの照明、オペ室に到着です。

 

⑥に続きます。

出産記録④誘発分娩チャレンジその3

 

誘発分娩3日目

 

いい加減終わらせたい。

この日は新月だったので引力にあやかって今日こそは!と意気込んでいました。

 

6:00頃やはりシャワーで呼ばれます。このシャワーの後数日入れなくなるなんて…(涙)

 

この日は珍しく?女医さんでした(今までの担当は男性医師)

内診すると「4cmか…バルーン入れましょう!」とのこと。えっ!外来では4cm開大まで行ったらあとは促進剤って言っていたじゃない???えっ聞いていた話と違うけど!!!

 

ということで150mlバルーン(メトロ)を入れられました。バルーンとは生理食塩水あるいは蒸留水を入れた風船を子宮口に挟ませ、開かせるというものでした。

 

激痛!!!!!!!!!

ただただ入れられただけなのに涙が止まらなくなるほど痛くて、声にならない叫び声をあげました。

 

「あと30分したら促進剤始めますね〜」なんて言い残し去る女医…⚪︎すぞ?と何万回も心で唱えました。

そして始まる促進剤投与…あっという間に3分間隔くらいの本陣痛に繋がり悲鳴…悲鳴…

「取ってほしい」「痛い」「もう(お腹を)切ってほしい」しか叫べず。

 

1時間に1回程度女医が来て子宮口のチェックをします。わたしは辛すぎて「切ってください」と懇願するものの「切れないから我慢してね〜」と言って去っていきました。

 

何リットルの涙だ…誇張なく3リットルくらいひたすら泣いていたのでは……

 

子宮口を柔らかくするためブスコパンを筋肉注射されました。ブスコパンって胃痛に効くイメージだったけど、こういうことにも使われるのね…。

 

叫びながら耐えます。耐えていないけど。

でもね母体って不思議なもんで1mmも胎児が下に降りてきていないの、わかるんですよ。何のために痛みを与えられているのか。

 

お昼すぎに女医と男性医師(ベテラン風)がきました。女医の見解では「まだだね〜」とバルーン延長のようでしたがベテラン男性医師は「もういいんじゃないか」とのことで抜くことに!!!神!!!そして女の敵は女だな!ホント!!!

 

子宮口6cm、昨日と同じです。

バルーンは抜かれても強烈な陣痛が襲ってきて叫び倒します。

趣味のカラオケのおかげで?腹式呼吸で叫んでいたので喉は潰しませんでした✌︎

 

そこから3時間、叫んで吐いて柵にしがみついて1mmも進まない陣痛に耐えます。

別の女医がきて、内診をします。「ちょっと今日はがんばろうか〜」と一晩決死作戦を醸し出されます。5分後「やっぱり中止で!」と。

こっちは6時間過強陣痛レベル(一時はそうだった)耐えたのに「中止」の一言で終わってしまう…ケアのような言葉も無く。女の敵は女だ!!!!

2時間くらい泣き続け、夫にも電話して泣き続け、ちょっと落ち着いたかな…。

 

促進剤投与後も陣痛は止まらず、ずっと本陣痛…この日はお昼も夜ご飯も痛すぎて食べられませんでした。

 

夕方頃「あーなんか寒気がするなぁ」と感じていました。分娩室暑いから冷えたかなぁなんて。検温すると37.3℃、微熱でした。

どんどん悪寒はひどくなります。気がつくと38.3℃まで上がり、胎児も頻脈になりました。

 

あーーー感染だ。

 

わたしの体力は限界だし、赤ちゃんも疲れてきている。どっちか死ぬなぁと悟りました。

夜勤の女医に診察してもらうと、おそらく内診をしていく過程のなかで感染したのではないかとのこと。もはやこの頃には内診や器具挿入が恐怖でしかなく、なにかをされそうになるとかなり身構えてしまいました。色々配慮してもらい菌の検査等々をしました。

そして「切ってください」と懇願します。「今は夜間だから安全面を考慮すると帝王切開はできない。ただ明日に申し送っておく」とのことでした。ちょっと内診ホッとしました。終わりが…見えた…!!!

 

高熱なので陣痛室から分娩室へ隔離、帝王切開を視野に入れて絶飲食が始まりました。

 

進まないお産なのに陣痛だけはご立派にきてくれて、一晩叫び倒しました。事情を知らない助産師さんたちが「よーし内診してあげるからねぇ」と親切心で来ますが、それをすると1分間隔になるのでぜひやめていただきたかったですね。

 

一睡もできず、1mmも進まず(途中で子宮口5cmまで縮む)、夜があけました。

 

誘発分娩4日目に突入します。

 

⑤に続きます。

 

 

出産記録③誘発分娩チャレンジその2

 

誘発分娩2日目

 

翌朝6:00に「シャワーに入れますよ〜」と起こされ、分娩室で汗だくだった身体がさっぱりしました。

部屋に帰ると子宮口あたりに激痛が走るようになりました。痛すぎる……!!!

朝食もほどほどに、子宮内部をこじ開けようとされる感覚で悲鳴でした。ナースコールを押しても「8:30くらいに診察あるからそれまで我慢」と言われ絶望。だって今7:45じゃん……痛いとしか言えないし、むしろ叫んだし、痛すぎて涙は勝手に流れてくるし、なんだこれ拷問か……?

ギャーギャー泣き喚いていたら8:15くらいに「先生来たよ!」と助産師さんがすっとんできてくれて「もう!泣かない!」と叱咤激励されながら処置室へ。

 

診察台にあがり、ラミナリアを取る処置をされました。この頃にはもう内診が怖くて怖くて過呼吸になり気味だったので、夜間で担当してくれた助産師さんと日勤で担当してくれることになった助産師さん2人に励まされ手を握られ「息吐いて〜〜〜」と、産むわけでもないのにVIP対応してもらいました←

13本全て抜き、医師のグリグリ…「うん、6cm!」とのこと。昨日2cmだったから痛みを我慢した甲斐があった(涙)

 

「今日お誕生日になるよ!がんばろう!」と夜勤担当の助産師さんに言われました(たぶん、これそうじゃなかったときのリスクありすぎて禁句だったんだと思うんですが、わたしがあまりにも痛がるから優しさで言ってくれたんだろうと)

 

そして促進剤投与がスタートしました。

わたしの場合、オキシトシン(アトニン)を少しずつ点滴で投与していくというもの。

オキシトシンは子宮を収縮させる働きがあり陣痛につなげるそうです。錠剤を飲むパターンもあるようですが、わたしはモニターで様子を見ながら30分毎に12単位ずつ(表現あってる?)量を増やしていきました。

 

一晩5分間隔の陣痛に耐えていたので、はじめは全然耐えられました。キタキタキタ!となると息をふーーと吐いて逃しました。

投与量が増えていくと次第に腰骨を剥がされているような痛みが襲ってきます。そのたびに「痛い〜」と漏らすようになりました。

昼食が出されても食べる気にはなれず…フルーツのブドウを3つかじり、持ち込んだグミを2つ食べました。しかしその後全部吐きました。

お産が進むと吐き気を催すことが多いようで良い傾向だったらしいです。

 

何度か医師がきて内診をします。毎度「うーん6cm」といって去っていきます。全然お産が進みません。胎児が骨盤の方に降りて来れば一気に進むこともあるようですが、その気配もなく。

内診をされるたびにそれが刺激となり1-2分間隔の陣痛になります。もうこの頃から波が来るたび柵にしがみつくしかありませんでした。腰が痛くて痛くて助産師さんも一生懸命マッサージしてくれますが、マシになる程度で「これを一体いつまで続ければ終わるんだ…」と時計と睨めっこしていました。

 

吐くし、痛いし、暑いし。

もう何も出ないのにひたすら胆汁を吐き続け、口の中めちゃくちゃ苦かったです(涙)

 

15時に内診をされ、やはり子宮口6cmから動きませんでした。あんなに痛かったのに。

「明日またチャレンジしましょう。様子次第では人工破膜(人工的に破水させること)をしましょう」と。医師は去っていきました。

中止されてもわたしの血中にはまだオキシトシンが残っているため、進まないお産のためにしばらく陣痛を耐えねばなりません。

 

悔しくて悔しくて悲しくて「中止」の一言で済まされるのもなんだか悲しくて涙はボロボロ。いっぱい泣きました。今も思い出して泣きそう。

 

その後も夕方まで助産師さんが付き添ってくれて腰のマッサージをしてくれました。18時頃には促進剤が切れてだいぶ穏やかになったと思います。

 

部屋移動し、陣痛室と呼ばれる3人部屋に移動しました。そうしたら同じ部屋の1人のいびきがひどすぎて(妊婦だし陣痛きているはずなのによく仰向けで寝られるななんて思いました)夜中に部屋を移動させてもらいました。こちとら体力がもう無いじゃ…寝られる時に寝かしておくれ…

 

そして分娩チャレンジ3日目の朝を迎えます。

 

④へ続きます。

 

 

出産記録②誘発分娩チャレンジその1

 

さて、ここからはちょっと痛々しくなるので苦手な方はブラウザバックで…

 

誘発分娩1日目

 

10:00から入院だったので、それまで夫婦でモーニング@磯丸水産

(笑)

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数時間後には地獄が待っているというのに…呑気なものですねぇ…

 

病院に到着し、立ち入りNGなので夫とハイタッチして別れ、入院手続きの後、医師の診察がありました。やはり頭の大きさは10cmを超えており…子宮口は2cm!なんで!土日たくさん歩いたし、ダッシュもしたのに(涙)

ということでラミナリア処置です。

ラミナリアとは元は海藻の芯?らしく、中の分泌液を吸い膨らむという仕様になっているようです。タンポンと似てますね。

外来では「ラミナリアを5-6本入れて子宮口3-4cm開大を目指します〜」なんて言われていたのに、なんと

13本!!!!!!!!

それがもう激痛で…まずクスコで不快感からの、「え、え!?外来で5-6本って聞いていたけど!?終わらないの!?」とパニック。挿入されるたびに激痛…迷走神経反射で気持ち悪くなり…涙が…

「13本入れました〜これで一晩過ごしてもらい明日から促進剤使います〜」とのこと。

めっっっっちゃ中痛い。異物感がとてもじゃないけどひどい。内臓を直接触られている感。

そして生理痛のような腰痛に襲われ、なかなか動けず…。

 

「今満床で、退院患者さんのお部屋お掃除終わるまで申し訳ないんですが分娩室にいてください」

ということで、分娩台で昼食を食べることに。分娩室って生まれてくる赤ちゃんのために室温がとても暑いんですよ。26-28度くらいかな。汗だくで持ってきていたハンディ扇風機が大活躍でした。なかなか移動指示がなく、お腹も腰も痛いので昼寝するしかなく、特に助産師さんが付き添ってくれるわけでもなく、とても暇でした。

 

部屋が用意できたとのことで移動です。個室でした。尿意を催したので部屋のトイレに腰掛けます。

 

あれ……すぐそこまで出かかっているのに、出てこない…膀胱は漏れる寸前みたいになっているのに…出ない……まさか…

 

そうです。膨張したラミナリアが尿道を塞いだことで自立排泄ができなくなりました(汗)

人生初の導尿です。

 

カテーテル入れる瞬間痛いのね、アレ。沁みるというかツーンというか。3時間置きに導尿してもらいました。もう恥ずかしさとかはありません。

 

夕方以降お腹が張るな〜という感覚はありました。家にいるときの前駆陣痛的なものよりは痛くなかったので我慢するほどでもなかったです。

 

夜になり分娩監視装置(以下モニター)をつけると、なんと5分間隔で陣痛がきているじゃないですか!!!

割と刺激で本陣痛に繋がりやすい体質だったみたいです。これで後々苦しむのですが。

0:00を回った頃陣痛が来るたびに目覚めますが、合間合間に睡眠をとることはできました。

「本当に5分間隔だ〜〜人間の身体ってすげぇ!陣痛ってこんなもんなのかな、確かに生理痛っぽいけど…全然乗り越えられるのでは!?!?!?」なんて呑気に構えていました。バーカ。

 

③に続きます。

出産記録①それまでの経緯

 

赤ちゃんが寝てくれている間にちょっと備忘録を。

 

大きい赤ちゃん

地獄のような妊娠重症悪阻、名ばかり安定期、キラキラ(嘔吐)のマタニティライフ、前置胎盤、切迫早産リーチ!を経て妊娠後期を迎えました。

 

中期終盤あたりから胎児が大きく、特に頭部が2-3週分ほど突き抜けて大きく…毎回の尿検査では尿糖は偽陽性すら出たことがなかったので、「個性の範疇かな?」と医師には言われていました。

 

34wの検診で既に38w程度の頭位になってしまったので今更ながら妊娠糖尿病の疑いがかかり、75gブドウ糖負荷試験をすることになりました。

妊娠糖尿病になると巨大児(4000g↑)になりやすく、生まれたあと赤ちゃんは低血糖になりやすかったりなんだったりするようです(あやふや)

 

75gブドウ糖負荷試験の方法としては、概ね12時間の断食の後、ソーダ水(ブドウ糖75g)を飲み摂取後・1時間後・2時間後の3回採血をして血糖の変化を診ます。

妊娠後期に食べつわり様症状だったわたしにはめちゃくちゃしんどかったです……甘ったるい感じ不味い後味何も食べてはいけない……オエ……助産師外来部屋が空いていたのでそこで横にならせてもらっていました。

 

結果はオールパス💮

ただただ大きい赤ちゃんでした(笑)

 

誘発分娩の提案

37wの正期産に入った健診にて、頭の直径が10cmを超えてしまっていました…!そして胴も大腿部もやはり1-2週分大きくこのまま40wの陣痛が来るのを待つと4000g↑の巨大児、難産が予想されました。

そこで医師から誘発分娩の提案をされました。なるべく自然なお産として経膣分娩ができるように薬を補助的に使って陣痛を起こし分娩をするというものでした。

わたしはお腹がパンパンで苦しかったし、会陰裂傷待ったなしレベルの頭囲だったので、できることならスムーズにお産を進めたかったので「します!」と即答しました。

 

入院(分娩チャレンジ)まであと3日と急に事決まりました(汗)

 

そして現状把握ということで初めての内診がありました。内診は医師が膣内に指を入れ、子宮口がどれだけ開いていて、柔らかさはどれくらいで、時がくれば卵膜剥離(子宮の壁と赤ちゃんを包む膜をグリッと剥がす、所謂内診グリグリ)をします。

わたし外傷の痛みは割と強い方なんですけど、子宮口だけはホントに無理で。アレな話セックスで子宮口つつかれるのもオエってなっちゃうくらい「一切触れないで!!!」っていうタイプなんですよーだからめちゃくちゃ苦しかったな……

子宮口は2cm(10cmがmax)開いているそうで、土日たくさん歩いてもっと開かせよう!と思ったのでした。

 

誘発分娩・帝王切開・麻酔・輸血についての説明を受け、入院手続きを軽く済ませ夫にも即連絡。

 

土日を挟んだので最後の晩餐!ということで美味しい美味しい焼肉屋さんを予約しました(笑)

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美味しかったです(   ᷇࿀ ᷆  )✌︎

他にもラーメンや美味しいパン、美味しいジュースなど我欲のまま食べ歩きました(笑)

 

「来週には赤ちゃん生まれているんだねぇ」なんて夫婦でしみじみとしていました。

 

②に続きます。

産後クソメンタル

 

ご無沙汰しております!

先日無事(?)出産いたしました。

 

今現在進行形でマタニティブルーズが到来し、涙が止まらなくなる現象が起きております。

 

チラ裏程度に、後々思い返したときにこう思っていたんだなぁ程度に書き残しておこうかなと思いました。

 

息子はかわいいし、愛しいし、邪魔だ!いなければいいのに!なんて1ミリも思ってはいないことを念頭に読んでいただければなと思います。

 

もう戻れない日々

 

誘発分娩が決定してから急いで「子どもが小さいうちは行くことが難しいご飯屋さんに行こう!」と夫婦で食べ納めをしていました。

入院当日の朝なんて磯丸水産に行って朝ご飯食べていました(笑)

なんてことない割といつも通りの朝でした。

 

出産し、わたしと息子の容態が安定し病室で同室になった途端なんとも言えない感情が襲ってきたのです。

 

もう戻れない。あの頃(出産前まで)にはもう戻れない。

 

夫婦で美味しいご飯屋さんで食事することも

お友だちとワイワイ遊ぶことも

仕事帰りストレス発散でゲームすることも

寝る前にお友だちと電話することも

今まで何気なく過ごしてきた日々は本当はかけがえのない日々だった、ということを改めて実感したのです。

 

もちろんこれから先それらが全くできなくなることはないけれど、でも母か否かでは振る舞い方が変わってきます。軽率に「お友だちとご飯いってくるー!」なんて家を空けるわけにもいきません。

 

友人に話してみると、これからもたくさん楽しいことあるし、子どもの成長で喜びは増えるよ、と慰めてくれました。わかっています。慰めてくれた友人もわたしがわかっているの分かって話してくれたんですけどね。

 

結婚したときとは違うんです。妻になるよりも母になる方が確固たる境界線を引かれているようで、プレッシャーとは違うけれどやっぱり「もう戻れない」と思ってしまうんです。

 

自分で望んだ未来なのに、なんでこんなにグズグズしているのか、嫌になります。

 

人に恵まれたなぁ、と。だから友人1人ひとりと関わったことを思い出しては辛くなるんだなぁと。

 

夫は「俺の人生はもう、息子に尽くすって決めたんだ」なんてぼやいたことがあります。

わたしはそこまで覚悟できていたのかなぁなんて自己否定してしまって、申し訳ない気持ちになります。

 

全ては産後、ホルモンバランスが一気に崩れたことによる一過性の情緒不安定なのは自覚しているけれども、涙は止まりません。

 

愛しかった過去の日々ありがとうございました、というところかな。

 

もしも願いが叶うのなら、母になりたかったわたしと、これまでの生活を続けたかったわたしと分身しないかな!無理だよな!(笑)