ぐらんぎにょーる

だれかの役に立てたらいいな

第二子出産記録②陣発!?

 

「三次救急の総合病院で助からなきゃそれはもう助からんのよ〜(cv心の中のノブ)」

ということで心配事はたくさんありましたが、慌てふためくことなく冷静ではいられました。

ただ、伝えたいことがある人には伝えたいことを伝えて(小泉進次郎)、遺したい言葉は人に託して、あとは家の中の身辺整理。わたしが仮に死んだとしても生活が回るように各書類は夫がぱっと見でわかるように整理しておきました。Twitterの身内アカウントにも何かあったら夫と息子をよろしく!なんて託したりなんだり。住所知っている人たちだからね。

 

それは突然嵐のように

月9風に(笑)

27日2:30頃、あまりの気持ち悪さにハッとして起きました。連日吐き気とは闘っていたのですが、なんとなく別の種類の…

そして定期的にお腹が張る…テニスボールでお尻をぐっと押したくなるような前駆陣痛(陣痛とは別の定期的なお腹の張り、陣痛の予行練習のようなもの)も連日あったのでそれかな?とも思っていたのですが…

思い出したのです!

この時の吐き気と似ている…!!!

お産が進むとその他の内臓も連動して動くため吐き気を催すのだそうです。

 

さて、本来の予定日より20日、予定帝王切開日まで11日…入院バッグの用意がまだだ(^q^)

 

定期的に立ち止まって呼吸でいなさなければならない痛みと闘いながらポイポイとボストンバックに荷物を詰めてました。みんなは臨月入ったらちゃんと用意しような!

 

陣痛カウンターはめんどくさくてつけないタイプなんですが、なんとなく5-6分で痛みがきている…これはきっとそう!でもお腹は下がってきている様子はなく、帰されたら帰されたでいいから病院に行こうと決心しました。

5:00陣痛のようだから病院に連絡して行くかもしれないと夫を起こす。病院に連絡をすると「入院の用意をして来てください」とのこと。寝ている息子を起こし、準備をして病院へGO!

息子が…とても…不機嫌で…大変でした。

夫も謎にテンパって運転下手くそなのにさらに下手くそになり、駐車場ではないところに止めて二度手間をしたり…

妊婦のわたしが一番しっかりしていました(笑)

 

6:15病院着。病棟の中には子どもは入れないので息子とはここで別れなければなりませんでした。ただもう空腹と眠気でひっくり返って泣きまくって(それはそう)、別れ際に渡した好きなキャラクターのぬいぐるみもぶん投げられました(笑)

 

夫と息子と別れ、診察です。

経膣エコーで頸管長を測るも十分な長さ、内診(指を膣に入れて子宮口がどれだけ開いているか)をしても1cmで熟化(お産が進むと柔らかくなる)無し…

この時点で前駆陣痛かもしれないとのこと。でも痛みはどんどん増していました。

次にモニターをつけて張りの様子を見ることになりました。やはり5-6分間隔で張りはあるようでした。

医師は悩みます。「前回下から産もうともしたことあるし、たとえ今帰したとしても1週間もつか否か…ちょっと相談してきます」

帝王切開といえど?立派な手術なので人員が必要で、できれば夜間や時間外など人手がないときは避けたいと第一子のときにも言われたので納得していました。個人的には今日やってくれ!

割とすぐ戻ってきてくれて「今日手術しましょう!今すぐ人を集めて朝イチで手術室に入ります」ヤッター!

陣痛かもしれないと思った時点で飲食をやめていて大正解でした。麻酔をする関係で絶飲食なんですよね。ルートを確保して輸液を開始します。久しぶりに点滴失敗されて青タン(笑)産科のゲージ太いものを使うので腕に刺したとしても痛いんですよね。めちゃくちゃ速く落とされてあっという間に500ml入りました。追加で2本。

夫に連絡し、息子は土曜日でしたが特別に登園させてもらい保育園へ。手術のため夫は病院待機になります。

 

8:00手術室へ移動が始まります。寝転がっているより座って陣痛の痛みをいなしている方が楽だったのでベッドにちょこんと座り移動待ち。麻酔科の先生待ちだったようで、助産師さん6人くらいと執刀の産科医とに囲まれながら陣痛耐え…手術室へ出発!

夫とは病棟エレベーターホールで少しだけ会話できました。

「わたしに何かあったら息子ちゃんと生まれてくる子よろしくね」

「おう!じゃあがんばって」

 

まさか4月生まれになるとはなぁ…

 

③に続く