ぐらんぎにょーる

だれかの役に立てたらいいな

立ち帰る場所として、

 

 

 

わたしは生きていく中で心がけたいこと(目標)が3つあります。

「会いたい人には会いたいと言う、好きな人には好きだと言う」

「やらない後悔はしない」

「できないことは『助けて』と言う」

そして、それを後押しするのが

「迷えば不安、決めれば自信」

 

小学生の文章みたいって言わないで(涙)

 

散々色々なところで話していますが、生育歴に難有りでアダルトチルドレンです。他人、特に親の顔色を窺って生きてきました。自分軸で生きてきませんでした。

自家中毒(現:周期性嘔吐症)を幼少期から発症、思春期には過換気症候群になり、社会人になれば発達障害が判明、その二次障害に苦しみ自殺未遂までする始末。希死念慮にかられる日々でした。

そんなわたしがどうして上記3つの目標を掲げるようになったのか。

 

わたしは中学受験をしたためにいわゆる「地元の友だち」がいませんでした。小学生の頃SNSなんてものはないし、わたしは携帯を持っていましたが周りはほぼゼロ。連絡先は家電のみしかわからず疎遠となりました。大学生になり地元でアルバイトを始め、そこで同世代と出会い、「地元の友だち」となりました。特に同い年と1つ下の女の子とは親しくさせてもらって今でも連絡を取り合っています。その友人はTwitterに常駐しているようなツイ廃(褒め言葉)で、改めて個人間のやり取りがなくてもお互いの動向は分かっていました。わたしが東京から仙台に移住したのち「そういえば同い年の友人、全然Twitterで見かけないぞ?ツイートもちょっと前から止まっている…鍵垢の方も止まっている…どうしたんだろう?」と心配になり、LINEで連絡をしてみました。するとなんと脳腫瘍で開頭手術までして生死を彷徨っていたとのこと……まだ20代半ばなのに…!?その時ドキッとしたんですよね。わたし自身自殺未遂までしておいてアレですが、死を身近に感じました。大切な人を失いそうになり胸が締め付けられました。(高校生のとき友人を事故で亡くしたときも散々泣いて泣いて泣いたのに喉元過ぎれば熱さ忘れる…というより家庭で必死すぎて)帰省した際に後遺症はあるものの退院した友人と一緒に遊ぶことに。すかさず「プリクラ撮ろう!!!」と提案しました。友人には「えーこんな年齢なのに〜!?」と言われてしまいましたが(笑)でも悔いなく生きたいと説得しまして撮りました。縁起でもないことですが、人と会う時にこれが最後だったら…を意識し始めたのはこの頃でした。

 

同時に、詳細は書けないんですが(笑)自分の想いを世間体やら何やらで蓋をし続けてしまった結果、呪いのような想いになってしまった事件がありまして。やらない後悔かやってから後悔か…分岐のところでひどく悩み、そのときは前者を選びました。そしてしばらく苦しみました。事情を知っていた友人に「棺桶パンパンでしょ!!!圧縮袋必要!!!」なんて言われるほど想いが増大して………その時やらない後悔はもう二度としたくないと思ったのです。

 

そして極めつけが第一子出産時の大量出血。弛緩出血がひどく身体の血液がほとんどすっからかんになってしまいました。よく生きていたな……輸血で命を繋いでもらいました。かけがえのない宝物を置いては死ねない!後悔する!と生きることに執着し始めたのはこの時です。人って変われるものですねぇ…。

 

好きにもlove.like.affection…など種類がありますが、どれをとっても「伝えなければ伝わらなくない?」と小泉構文。福山雅治も「はつ恋」の中で「どんなに大切でも言葉にもカタチにもできなけりゃ優しさなど無意味さ」と言っています。だから関わってくれる人みんなに先に謝ります。お節介だろうが余計なお世話だろうが、好きな人たちには幸せになってほしいので色々な形で助力させてください。そして好きだと言わせてください。

会いたいね、と言われたら飛んでいきます。もう子どもがいるのでどうしても瞬発力はなくなるけど、行けたら行くは100%行くを心がけて。

 

目標の3つ目に関しては発達障害が絡んできます。ADHD、わかってはいるけどできないことたくさんあります。でも、わたしが発達なことは他人には関係ないというか免罪符にはならないんですよね。ルーティンを確立してマイルールも設定して今のところなんとか生活しています。でも擬態していてもいつかはボロは出るし、その前に自分の心身が疲弊してしまいます。実際今までの上司は口を揃えて「頑張りすぎ、肩の力を抜いて、周りを頼って」と言ってきます。疲れます。なので努力ではどうにもできないこと、助けてほしいことは自分から「○○の状態になったときはこう助けてください」と頼るよう心がけています。なので助けてください(涙)

 

「迷えば不安、決めれば自信」いい言葉でしょ?中高時代の部活のコーチが教えてくれました。自分軸で生きるために自分が選択したと胸を張って行動できるように。迷っているときはウーンって感じだけれど、こうと決めたら大丈夫!自信を持つんだ!と自分に言い聞かせています。

 

といっても元々のメンタルがゴミ屑並みにボロボロの人間です。たまに死にそうになります。産後、睡眠不足も祟ってだいぶメンタルが落ちたときにカウンセリングを受けました。その時に「自己肯定感を上げる前に、自分の感情を否定しないことだよ。泣きたかったら泣けばいい、泣きたいのに泣かないのは自己否定だよ。楽しいときには思いっきり笑ってさ。自分の心に寄り添おうよ」と言ってもらいました。そして承認欲求から他者評価を得ることは卑しいことなのでは…?と自己卑下に陥ったときも「他者評価を得ることがお仕事の人(漫画家など)もたくさんいるからそれは卑しいことではないよ。」とも教えてもらいまして。自分の感情や欲求には自分が寄り添うのが一番なんですね。

 

難しいけれど。

 

何か思い出せばここに加筆していこうと思います。チラシの裏でしたがご静聴ありがとうございました。

 

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おいしすぎるお肉、載せておきます✌︎