ぐらんぎにょーる

だれかの役に立てたらいいな

守るためならわたしは鬼になる

 

そういえば自分の青春時代について何も遺していないなと思ったのでつらつらと書き連ねたいと思います。

 

踊って死ねたらいいな、そんな中高6年間を過ごしていました。ガッツリ身バレはしたくないので抽象的な場面も多くなると思いますがどうぞお付き合いください。

 

小学生時代

親の熱い希望により私立の学校に進学することになりました。志望校どうしよう…小学校のクラブ活動でバトントワリングを嗜み、自他共にセンスがあることが認められていたので、バトンに注力している学校に焦点を当ててどこの学校に行こうか悩んでいました。そこである学校がバトントワリングが強いと聞き、文化祭へ。しかしそこはポンポンメイン(チアリーディング)でわたしがやりたかったバトンではありませんでした。ガッカリしていたところ、次の演奏演技がマーチングバンドでした。ちなみに全国区。そこで見たカラーガードという旗や銃(ライフル)、剣(セーバー)を使い音楽に合わせて踊るパートに一目惚れ。「これがやりたい!!!!」と強く思うようになりました。他の学校のマーチングバンド部を何箇所か見学に行きましたが、やはり一目惚れした学校が一番印象に残りそこに入学することにしました。

 

中1-2

中高一貫校なので6学年、100人前後みんな高等学校の部に出場します。若干でありますが大会メンバーの選出も行われます。でもほとんどが大会メンバー。ついこの間までランドセルを背負っていた12歳と、身体が出来上がっている18歳同じことをします。つまり、中学生はお荷物なんですよね。特にカラーガードはその年齢差、経験差が顕著にでます。楽器隊はぶっちゃけ吹かずとも歩けていればバレないのでね。そりゃあもうゴミカス扱いでした。理不尽なことへの耐性はこの2年でついたのでは?(笑)人間扱いされていなかったと思います。今のご時世ではありえないと思います。

中1-2はフラッグメインで、中2の最後でライフル・セーバーを持たせてもらえるようになりました。フラッグよりも繊細かつ筋力がいるのでね。それも紆余曲折、いじわるな先輩の謎理論があってなかなか持たせてもらえず…(笑)わたしはこなくそ精神で練習に励みました。なぜならば来年度ライフルかセーバーメイン(高校生が中心)になれそうだったからです。指は突き指だらけテーピングだらけ、爪からは出血する日々、シャープペンを持つことがギリギリでした。よく合唱コンクールのピアノ伴奏できたなと思いますわ…。

 

中3

さて、大会の構成が組まれる時期になりました。ライフルorセーバーの踊れる枠があと1枠。正直同学年は敵ではなく、強いて敵というのであれば年功序列的な意味で高校から入部した高2の先輩でした。でも負けるわけもなく。見事オーディションを勝ち抜き、ライフルメインで踊ることに。ヤッター!

念願のポジションに就けたわけですが、甘かった…打ちのめされることになります。普通であれば高校生がなるポジション、そして基礎練とは異なり踊りながらトスをするために力加減を覚えなければならない…わたしは基礎練こそトスを落とすことはありませんでしたが振り付けの中で、何分も踊り続け腕疲労もある中でのコントロールが非常に苦手でした。

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↑イメージ図(笑)わたし32歳のトス

これを踊りながらこなすことがなかなか難しくて自分だけドロップする(落とす)ことも多々…情けなくて泣く日々でした。練習してもしてもしてもコントロールできず…

そして全国大会出場をかけた大会で大失敗をしました。ドロップしたライフルが楽器隊の足元に滑って後輩が踏んでしまい、リカバリーが遅くなってしまったのです。演技終了後、後輩が泣いて謝罪にきました。何も悪くない後輩を泣かせてしまったこと、自分のせいで全国大会に行けなかったらどうしようと自責の念にかられてもう涙が止まらず…意識が遠のき気が付いたときには表彰式でした。全国大会の推薦をもらえた旨を聞き心の底からホッとしたことを覚えています。15年間で一番泣いた日だと思います。全国大会まで死力を尽くし指がもげようが出血が止まらないでいようががむしゃらに練習しました。

全国大会___練習が実り、全てトスをキャッチすることができ、踊りに関しても今までの1番を出すことができました。幸せだったな。先輩方も自分のことのように喜んでくれて嬉しかったです。

 

高1

さて、ここから高校から入部するメンバーが同学年に加わることになります。そして中学から続けていたメンバーもライフルやセーバーメインで踊ることになりました。しっかしまぁ中2で受けた先輩からの謎の理不尽でなかなか練習できなかった同級生、中3のわたし並に悩むことになります。わたしなりに同級生に指導するも自分もいっぱいいっぱいでした。わたし自身はもうノードロップで踊りきることができるようになりました。しかし苦しむ同級生。彼女たちの涙を見てどうもしてあげられない、守ってあげられない自分がゴミカスのように感じてしまったのです。

学校自体も色々あり、同級生も倍以上になり、もうひっちゃかめっちゃかな1年で創部以来1番悪い成績でシーズンが終わりました。もちろん全国大会には進めませんでした。地獄のような1年でした。

 

高2

部活って1個上と1個下と険悪になりません?(笑)まぁ1個上はもう5年目のお付き合いなのでそりゃもう理不尽なお説教ばっかりですよー。でも当時は先輩の言うことは絶対!だったので耐えるしかなかったですハイ。特に高校から入ってきた3年目の先輩と、中学から続けている5年目の我々の軋轢はひどく…(笑)技術差が目に見えてあるのにね、偉そうなのムカつくじゃん?(笑)

高校から入部してきた同級生もライフルorセーバーメインになりました。よく頑張った!

スキルの面でもう同級生を泣かせない、そう心に誓い一緒に練習を重ねました。同級生のスキルが底上げされているのを実感していました。

わたしが少しでもいいポジションで踊るとブチギレる先輩…わたしがポジション決めているわけではないのでやめてください…コーチに言ってよ……

そんな理不尽すぎる先輩なので、後輩泣くんですよね。泣かなくていいことでも。だったら泣かせずちゃんとスキルを向上させられるようアドバイスしたらいいのにね。

そんなこんなでこの年も全国大会にコマをすすめることはできませんでした。もう全国大会にはいけないのかな、高すぎる壁になってしまったのかなそんなことを考えるようになりました。

 

高3

さぁ最終学年だ!理不尽な上下関係はなくそう、しめるところはしめるし上下関係のいいところは残してみんなが家族のように過ごす1年にしよう。そして後輩の前では泣かない、泣く時は全国大会推薦をもらったときだ___と誓い合いました。

わたしはというと、もう学校が進学校化してきて来年から高校からの入学をやめると聞いており、このまま例年がごとく理不尽なことばかりしていると人数も減るのに後輩のスキルが終わってしまうと感じ一大決心!後輩、特に中学生のスキルを底上げするぞ!と。

ちなみに技術面でのリーダーになりました✌︎

もうね2年連続全国にいけていないのでね、あとはないのですよ。やるしかない。

もう誰も泣かせない、もう誰も自分が足手纏いだとは思わせない、踊っている最中誰が中1で高3でかぱっと見ではわからないほどスキルをあげさせる、そのために、みんなを守るためにならわたしは

鬼になってやる……

理不尽には怒らないけどね(笑)

あ、ちなみに日頃の指導は高3が行ない、たまにコーチがいらしてブラッシュアップするという練習の流れです。

ものすごく厳しい先輩になりました。相手が中学生だろうが高校生だろうが関係ない。練習が激しすぎて同級生にさえゼェゼェハァハァされながら鬼!!!!って怒られましたわよえぇ。

このカラーガード、音楽がよくわからないお客さんにとっても一番優劣がわかりやすいパートなんですよね。振り付けがズレているか否かなんて一目瞭然なのでね。

ドロップしたらリカバリーしたらいいや〜なんて呑気なことは思わせませんでした。んな甘っちょろいことは言っていられないのですよ。ドロップすんな。そのためにできるまでアドバイスを重ねました。

でもわたし自身、部活と勉強と受験のバランスが取れなくてメンブレがひどい1年でシーズン中に休部したこともありました。ごめんなさい。

 

この頃身体ももうボロボロて両足疲労骨折、テーピングでぐるぐる巻きに固定、手もボロボロで関節を抜いてははめての治療で実際はペンを持つだけでしんどかったです。

 

でもなんとか戻ってこられて意地で勝ち取った全国大会への切符。我慢していた分死ぬほど泣いた。実は後輩がものすごい失敗をして審査員たちの審査テープが「あぁ…あぁ!!!」の呻き声になっていて(笑)落ちたと思いました。「わたしたちの6年間、これで終わっちゃうんだね」って高3は絶望していました。後輩は自⚪︎してしまうのでは?っていうくらい泣いていました。でも全国行けてよかった!!!

もうここまできたら次はグランプリを目指そう!と磨きに磨きを重ねました。後輩たちもドロップすることも減り、中学生も食らいついてきてくれてどーんと大きい塊になっていきました。

全国大会、わたしはゾーンに入りすぎてまさかのドロップ。数年振りn度目のドロップ。ざわつく観客席…わたしもびっくりした…(笑)学校の先生方もたくさん応援しにきてくれていて、わたしがドロップしたことでだいぶざわついたようでした、すみません………でも後輩たちはノードロップ。振り付けもほぼほぼ乱れなし、というか揃いすぎている!!!みんな笑顔で演技を終えました。金賞受賞、創部以来上位2位の成績____自分のことは遥か彼方の棚にあげるけど、みんな幸せそうでよかった…何よりだよ。みんな練習についてきてくれてありがとうね。

そして高校の卒業式が3/1にも関わらず、演奏会のため高校に通い続け3/24に引退しました。6年間大変お世話になりました。

 

後日談

翌年、演奏会スタッフになり後輩のお手伝いをすることになりました。で、後輩のシーズン演技を観ていたら嗚咽が止まらないくらい泣いてしまって。あぁもうここにはわたしの居場所はないんだって思ったら涙が止まらなくて。でもたしかにわたしが後輩たちに託したスキルはそこにあって嬉しくもありました。

時は流れ_____

去年創部⚪︎年記念の演奏会が行われることになり、OGOBが召集され育休中だったわたしは参加することにしました。カラーガードは自分が中1の時の高3の先輩、わたしたちの代、高校編入の3つ下の代(つまりわたしが大1年のときの高1なのでかぶっていない)から下の子たちが参加することになりました。自分が高3のときの中1が高3の時の中1もいて「しょんちゃんさんの代は目玉が飛び出るほど怖かったって聞いていました!!!」って言われて苦笑(笑)主にわたしが厳しかったんですけどね。素敵な先輩とかわいいかわいい後輩たちと何も気負うことなく楽しく踊ることができて幸せでした。やっぱり踊って死ねたらいいな。

もうさすがに年齢的に厳しいからもう人前で踊ることはないのでしょうが、自分が自分らしくいられるあの空間がたまらなく好きでした。

 

 

さて出産まで2週間ちょっと、

この記事が遺書にならないといいなぁ(涙)