ぐらんぎにょーる

だれかの役に立てたらいいな

親を許すということ

 

Q.なんで誰得ブログ書いているんですか?

A.誰かの得になっている、という声を頂いているからです◎

 

いつも閲覧ありがとうございます\(◡̈)/

 

今回は趣向を変え、タグも雑談に。雑談ですよ、私見ですよ。わたしのことを書きます。今回は誰得です(笑)整理というか立ち返りのために。

 

毒親のもとに生まれて

 

 

この記事の冒頭でサラッと書いていますが、わたしは機能不全家族のもとで生まれ、育ちました。

詳細は省きますが、身体的虐待・精神的虐待を生まれたときから22歳で家を出るまで受けていました。

詳細書いても不幸自慢みたいになるし、HSPみたいな人にとっては「もう読めない…」ってなりかねないんですよ。だいたいの話を聞いた夫は「よくここまで生きてこれたな」って引いてました(笑)

 

いわゆる毒親と呼ばれる類の親です。当時は躾の大義名分のもとに手をあげることは許容されていた時代だったのかな。時代が違えば児相で保護案件ものです。

 

自分たちの思い通りに子どもを操りたい。言うことを聞かないとき、意に反したとき、イライラしているとき、寝不足のとき、文字通りの鉄槌が下ります。でも幼い頃わたしはそれはどこの家庭でもある、ありふれた日常だと思っていました。だから友だちの親を見ると「あーこのお母さんはどんな風に殴るんだろう。この前⚪︎ちゃん忘れ物したって言っていたけど、たくさん殴られて大変だっただろうな」って、心の中で友だちを労っていました。

 

そうは言っても防衛反応は出ます。解離性障害離人症自傷行為が顕れました。殴られるのは正直辛いです、どこの家庭でもあると思っていたとはいえ。その時に辛い気持ちと真っ向に向き合うと潰れてしまうと脳が判断したんでしょうね、離人症になったのです。父親にサンドバッグされるわたしを遠くから見つめるわたし。不思議な感覚でした。自傷行為は髪をハサミで切る、爪を噛む、皮を剥ぐ、で手は常に血が滲んでいました。幼稚園のときにはもうすでにボロボロだし、髪の毛もざん切りでした。

 

「作品を作りたい」特に母親は強くそう思っていたのでしょう。コンプレックスの塊で、内向的で、自己顕示するためにわたしと妹を作ろうとしていました。でもね、カエルの子はカエルなんですよね(笑)遺伝子に無理があります(笑)父親はただ単に暴力を振るえば言うことを聞くと思っていたそうですよ。馬鹿ですねぇ。

 

母の口癖は「生まなきゃよかった」「育て方間違った」「お前たちさえいなければ」でした。今となってはそれをわたしたちに言ってどうする?と呆れられるのですが、幼いわたしは親の期待に応えられていないことに申し訳なさを感じていました。

 

わたしはADHDだったので、親の支援なくては困難なことがたくさんありました。「鉛筆を削る」「宿題をする」「プリントは畳む」「時間割を確認して持ち物を揃える」等至極当たり前のことができないわたしに寄り添ったり一緒にやったりすることはなく罵倒するか殴り倒すかしか手段がなかった親たちでした。お陰様で通信簿の右ページ、生活に関することは全て「がんばりましょう」でした。

 

幼稚園・小学校は楽しかったです。親から殴られないので。離れられるから。楽しかった。行きたくない、と駄々をこねる子の気持ちは分かりませんでした。

 

泣き声が響き渡ると同居していた父方の祖父が助けにきてくれました。わたしは祖父が大好きでした。そんな祖父と父親が喧嘩をし、我々家族が家を出て行くことになりました。わたしの味方はいなくなりました。

 

母方の祖父母も大好きでした。ただ両親のそんな一面は知らないので「ママとパパの言うことは聞きなさい、間違いないんだから」と念仏のように言われ当時なんとも言えない苦しさがありました。叩くことは間違いじゃないのか…ならば痛いけどしょうがないのか…的な。

 

今でも覚えている、小5のとき、父親のサンドバッグになるわたしを見て、母親が発した言葉「顔はやめて」

 

虐待されていたという自認

 

詳細は省くといえど、書くことは書かなきゃですね。長くなります(汗)

 

地獄のような小・中・高時代を経て大学に進学しました。実家に住んでいる中で最もしんどかった4年間でした。

幼児教育系の大学に進学したわたしは、授業で衝撃的なことを学びました。わたし自身が被虐待児であること、それによって人格形成基盤が歪んでいること。そう知ってからは一気に親への憎悪が溢れました。今まで支配下に置かれて、犯罪である暴力を振るわれ、人格否定の罵声を浴びせられ、わたしの人生なんだったのかと。

悪いことは重なるもので、大学1年の夏に母が統合失調症を発症しまして、精神病院に紹介される事件が起きました。しんどかったですね。決まって毎朝4時、誇大妄想で叫ぶんですよ。「地球は終わるーわたしたちも死ぬんだー」ってね。一緒に寝ていた父は殴りたい気持ちを一心に抑え「大丈夫だから」と半ギレでなだめていました。わたしも妹も毎朝の両親の叫び声でぐったり。家族共倒れですよ。なのに母は「お前たちが悪い」と言うんです。遅くやってきた反抗期真っ盛りのわたし、グレる(笑)

 

自分の部屋は与えられず妹と相部屋、しかもその部屋の扉は常に開放していなくてはならない、友だちや恋人との電話も禁止され(うるせー!って言って電話していましたけれど)、門限は6時、家で談笑すると父親のグーパンが飛んでくる、何もできません。居場所はありません。

恋人と電話するときにたびたび親の声が聞こえてしまい心配されることもありました。そんな親と折り合いをつけられないことで、決定打ではないですが、振られる一因にもなったことが2度あります。

 

諸刃の剣なお仕事

 

大学卒業後、家を出て一人暮らしを始めました。子どもに携わる仕事に就きました。

 

「自分のような悲しい思いをする子どもがいなくなりますように」と、それを信念に勤めていました。するとなんということでしょう。「ママがいいー!」「ママに会いたいー!」と母子分離を嫌がり、迎えに来た時には親子でハグをする……そんな親子が当たり前の光景を見て「わたしの22年ってなんだったんだろう…」と、自分の人生を全否定するようになってしまいました。働けば働くほど、大好きな子どもたちと関われば関わるほど自分を卑下してしまって、ついには心療内科に罹るようになりました。

 

そんなときに毒親という言葉に出会い、書籍「毒になる親/スーザン・フォワード」を読みました。あぁわたしは毒されてしまったんだ。この生きづらさはADHDだけじゃない、アダルトチルドレンでもあるからだと知りました。

 

親を許すということ

 

その頃は親を殺したいほど恨んでいました。人のせいにしてはいけないと思いますが、でも自我が芽生える前の出来事は親依存です。こんなにも自己肯定感のない人間になってしまったのは親のせいです。恨みつらみに膨大なエネルギーを消費していました。

 

23歳のとき、仕事帰りにふと思ったのです。

「もう、親、許そう」

いや、許していないんですけどね(笑)ただ、そう念じることで肩の力がすーっと抜けた気がしました。「母は人としてダメで、子どもをダシにして堕落した生活を送っているクソ野郎、ただの世間知らず」「父はただの馬鹿」で2人とも人としてダメでそんな未熟な2人が子どもなんて作ってしまったのが間違いだったんだ、と超弩級の太鼓判を押しました。

そんなダメな2人に膨大なエネルギーを消費するのはもったいないと、それに気づかなかった自分に半ば呆れもしました(笑)そして今までの人生を呪うのもやめました。

 

ただ許したと言っても本人たちは何も変わっていないので、こちらがいなす必要がありました。折れるところは折れる。関わらないときっぱり告げる。

 

結婚式を挙げる際には、親族のみで、そして顔合わせの食事会も同時に行ました。毒親の片鱗を少しでも義家族に見せないようにしました。

実家に帰省するときには顔だけ出して、ビジネスホテルに泊まっていました。

変につっかかってくるときには無視で、必要最低限の言葉しか発しないようにしました。

アダルトチルドレンの特徴の一つ、自己決定ができないことがありますが、親に対してはきっぱりとこうします!と宣言するように努力しました。

さすがにもう高齢になった父は殴ってはこなくなってきましたし、母に対してちょっと不憫だなって思うことも多々あったので労うようになったので関係はまぁまぁ良好かな。

 

妹は典型的なアダルトチルドレンです。もともとの性格もあって抜け出せなさそうです。かわいそうに。

 

おわりに

 

具体的なエピソードを端折ったら毒親感なくなっちゃったてへぺろ(古)

 

母は相変わらずで、初孫ができたことにより家計が、自分よりも孫に重きが置かれることに不貞腐れております。クソ野郎め。父に離婚を提案していますが、もうずぶずぶの共依存でそれは難しいよう。

 

わたし自身が親になりました。よく虐待は連鎖すると言われます。いつか自分がそうなってしまうのかな、と不安に感じることもしばしば。夫に「そうなりかけたら止めてね。子の逃げ道になってあげてね」とお願いしています。味方のいない家族はしんどいですからね。

わたしは息子をコンクリートに叩きつけたり、数時間にも渡って髪の毛掴んだまま殴打したり、しゃくりあげて過呼吸になった口を塞いだりはしないぞ…!息子が息子自身で頑張ったことは親の手柄にはせず素直に頑張ったねって抱きしめてあげるぞ…!自己肯定感MAXでどうか心が折れても立ち直れる子になってほしいな。

 

結局不幸自慢になってない?ごめんね。

 

いつか許されるならエピソードをここで昇華させてください。オエってなっちゃう人もいるかもしれないけれど。

 

許したけど許していない。

 

ご清聴ありがとうございました!